医療過誤訴訟


法学教室でこの3月まで連載していた「展開講座:医療と法を考える」(樋口範雄東大教授)の「医療過誤訴訟」から、抜粋、要約。



=本年2月号から「医療過誤訴訟(2)−日本の場合」=



アメリカにおける医療過誤訴訟について。

・医師の責任と病院の責任は原則遮断。

・医師の医療過誤を問う訴訟では、医師の注意義務の内容を原告が立証する必要があり、それには専門家としての医師の証言が不可欠である。

・この注意義務の内容についての裁判所の判断基準は、地域性を重視した基準よりも、全国基準を採用するようになってきている。このため多くの原告は、他州の医師を専門家として招請できるようになった。
また、「医療慣行にしたがっているだけでは、注意義務を果たしたという1つの証拠にはなっても、決定的な証拠とはならない」という言明も、「ある一定地域の医療慣行」という意味で語られる場合が多く、医療者の医療実態から離れた注意義務を課す、という意味では決してない。

・したがって、全国基準を採用しても、それぞれの具体的な条件を勘案して判断することになるのは当然。


これを紹介した上で、東大輸血梅毒事件における注意義務の内容の最高裁判断にふれ、3人の法学者の意見を紹介する(四宮、唄、星野)。

・四宮(医療者の過失を認めない方向)
「過失と呼びうるほどのものはなにもない」とか「極めて軽微な注意義務の怠り」と述べて、最高裁がこの事件の医師の過失を認めたことを批判。一方で、被害者救済を前面に出し、結論には賛成。

・唄(病院の契約責任を問う方向)
無理に医療者の過失を問うことはせずに、患者と病院間の契約内容として、血液供給に関する一種の担保責任を問題にすることで、被害者救済を図ろうとする。

・星野(医療者の過失を認める方向)
最高裁の判断は妥当。
∵まず、先例があるので特異な例ではない。次に、医療界の実情等は情状酌量の要素にはなっても、紛争解決の基準とはならない。そして、問診の目的は血液の安全性に関する疑いが生ずるか否かなのだから、それなりの工夫や対処は可能だったはず。


これらについて、架空の法科大学院生と米のロー生にいろいろと議論させているがそれはここでは省かせてもらって...
一定のまとめとしてこの架空のロー生にアメリカの視点で感想を述べさせている。そのなかで気になったものを。

アメリカには被害者に有利な法理として「過失推論則(res ipsa loquitur)」がある。これは、治療とはまったく関係のない被害が起きた場合にのみ使える法理で、例えば、全身麻酔による手術中に過失があっても患者にはその過失を立証することが不可能なので被告の医療者側に立証責任を転換するというものだが、最近多くの州でこの法理の適用は排除されている。

アメリカ法では契約責任は無過失責任で、約束したことが実現しなければ即責任あり。
しかし、医療では治癒を約束できるわけではないので、契約責任で行くことは原則できない。

=本年3月号から「医療過誤訴訟(3)−インフォームド・コンセント訴訟」=


カンタベリー事件をひいて、アメリカでのインフォームド・コンセント訴訟の位置づけを紹介する。

この事件に対する連邦控訴裁判所の判決において、医療者の患者に対する説明義務を認めた。

・この法的義務は患者の自己決定権を根拠とする。

・情報提供の範囲について、完全な情報提供は非現実的としつつも、患者本位で情報提供範囲を確定すべきである。

・何が重要かは医療実務の慣行によって決められるのではなく、その立証に専門家証人は不要。

・ただし、基準はあくまで、合理的な患者であれば重要と考えるもの、という制約をつけ、その判断は陪審に委ねる。


このような判決があったにも拘らず、この事件では原告は最終的に敗訴した。それを踏まえて、インフォームド・コンセント訴訟の米国内での位置づけは。

医療過誤訴訟の一部にして、過失による不法行為訴訟の一種。

・過失による不法行為の原告による立証は、注意義務の存在と内容、義務違反事実(過失)、過失と損害の因果関係、損害の4つが必要だが、合理的患者基準を認めることで専門家証言を不要とし、原告の立証責任を大幅に緩和したが、この基準では因果関係と損害の立証は困難である。

・自己決定権の侵害を論ずる手もないではないが、自己決定の機会が奪われたという精神的損害だけで法的な救済を認めることはアメリカの伝統的な法理では難しい。名誉毀損などの例外はあるが、同国では精神的損害は物理的な損害に付随するものにすぎない。また、これによる法的救済を認めるような新たな法理を生み出すような動きは裁判所にはない。

・専門家証人を不要とする上記の合理的患者基準は、多くの州では医師基準を維持ないし復活させていることから、ほとんど用いられていない。

・また、アメリカにはbatteryという不法行為類型があり、故意による身体接触や暴行、傷害に適用される原則で、原告側の立証責任が大幅に緩和される。これは例えば、患者の同意がまったくない手術がなされた場合これがそのまま不法行為となりbatteryとなるのだが、これがインフォームド・コンセント訴訟に適用されることはない。


そして話は、日本のインフォームド・コンセント訴訟へと移っていく。あとは判例参照。