被害者参加制度は被告人の権利を守る点で問題(ダニエル・H・フット教授)

ボ2ネタ経由で。
「[第3回]「名も顔もない司法」は、裁判員制度で変わるかもしれない。 「透明性」がキーワードだ」
朝日新聞GLOBE)
http://globe.asahi.com/author/090302/01_02.html

――裁判員制度で日本の司法は変わるでしょうか。


フット その可能性はある。まず、調書裁判からの脱皮です。目で見て耳で聞いてわかる裁判を実現しないといけなくなる。これまでの裁判は、調書のやりとりだけで終わってしまう部分が多く、法廷は公開されていても、肝心の中身がわからなかった。裁判官は頻繁に転勤し、書面で引き継ぎをする。本来は、法廷で見て聞いたことをもとに判断するはずなのですが。
「誰が判断しても結論は同じ」という統一性、安定性も揺らぐでしょう。量刑や、事実認定の仕方についても、事件ごとの個性を重視した、柔軟なアプローチが増えるかもしれませんね。
ただ、心配な点もある。量刑判断の段階だけでなく、有罪か無罪かを判断する段階も含めて被害者が参加することです。米国なら、被告人の公正な裁判を受ける権利の観点から、まず認められません。日本で、そういう議論が出てこないことが不思議です。

「そういう議論」が出てくるわけないのは、どんな法曹関係者が社会の前面に露出しているか見ただけでも分かろうというものですね。



しかしこのブログでも以前取り上げた被害者参加制度の問題、ちょっとずつではありますが各所で問題視されつつあるようです。こういった声に刑訴法学者はいち早く耳を傾け、法改正へ動き出していただきたいものです(そして「真の」被害者救済は別の方法で)。