国家間の戦争のかたち→敵対する国家の憲法に対する攻撃

なかなか収束するところを知らない尖閣諸島問題ですが、中国側の対応の当否はさておき、それも致し方ないような気がしています。
というのも、中国側がこれを一貫して「主権(領土)」の問題として捉えている以上、それが「回復」されるまで続くとみるのが、こういった問題においては一般的ではないかと思うからです。

で、標記の考え方は、加藤陽子東大教授の「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」のなかで、長谷部恭男東大教授提案の概念として紹介されているものです。
これに沿っていえば、今回の中国の物言いは日本の「主権」に対してなされている攻撃であるので、まさに日本の「憲法」(体制、というとなんか国体みたいで、げっ、とかなるのですが、the constitution のニュアンスで)に対する攻撃といえるし、更にその手法の敵対性(重要資源の禁輸や、軍による民間人の拘束)からすると、まさに標記にいう意味での「戦争」になるのだな、と。

戦争...というと、どうしても大戦や日露戦争などのイメージがあって、派手なドンパチや大量の「民間人(徴兵軍人含む)」の犠牲を想起させられてしまうのですが、主権や社会契約に表象されるような「憲法」に対する攻撃というと、戦争概念の幅も結構あるのかもしれないな、と思った次第。

で、その後の本格的な戦争の回避については、まさに両国政府の知恵が必要になるのですが、それは、冷静な自他の判断構造と情勢の分析によるところが大きいのではないか、というのが、上記加藤先生の本を読んだ上での印象。

それでも、日本人は「戦争」を選んだ

それでも、日本人は「戦争」を選んだ